ヒロシマ平和宣言集
Japanese&English
広島市長の「平和宣言」(1947~2015)全収録
子ども代表の「平和への誓い」(1995~2015)」全収録
平和宣言の歴史と核を巡る世界情勢など主な出来事(1945~2015)全収録
2015.10.7発行     定価¥500+税
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1947年に「広島平和祭」として第一回が催され、当時の広島市長である浜井信三が平和宣言を行った。このときはGHQによる占領統治時代であったため、検閲で平和への思いが消されないためにどうするか苦労した。この平和祭では式典のほか市内各所で盆踊りや仮装行列なども催され、アメリカの雑誌『ライフ』が「アメリカ南部の未開地におけるカーニバル」と形容したほど市民に希望を与えるものであった。
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1950年6月から始まった朝鮮戦争において、米国は核兵器の使用を検討していた。原爆使用禁止のストックホルムアピールへの世界的署名運動が高揚するなか、GHQによってこの年の平和式典は禁止・中止された。1951平和宣言の代わりに市長あいさつとして発表された。平和記念公園が開設された1954年以降は現在の形式で行われている。
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1971年6月に沖縄変換協定に調印、佐藤首相が日本の首相として初めて式典に出席。11月には衆議院本会議で非核三原則を決議した。1972年5月アメリカから日本に沖縄施政権が返還された。山田広島市長はフランスの核実験に対して初の校荻電報を送り、以降すべての核実験に抗議した。1973年には原爆死没者慰霊碑前に抗議の座り込みを行った。
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1992年6月第1回国連軍縮広島会議開催。以降平成6年と平成8年にも開催された。1994年12月、原子爆弾被害者に対する援護に関する法律が公布され、1995年施行された。1995年には広島の平岡市長と長崎の伊藤市長が、国際司法裁判所(IJC)で核兵器使用の違法性について陳述した。
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2005年、未来世代への責務として、「汝殺すなかれ」特に「子ども殺すなかれ」を人類最優先の公理として確立する必要を訴え、2006年8月9日までを「継承と目覚め、決意の年」と位置付けて、核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開することを表明した。国連総会の第一委員会が核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案した。
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核兵器廃絶の取組への原動力となる信念を固めるために必要な行動理念として「人類愛」と「寛容」を提示し、関連する2人の被爆体験談を盛り込んだ。核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分からないとし、自らの問題として真剣に考えるように求め、各国の為政者に対し、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みの創出や被爆地訪問を求めた。2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けて取り組むことを誓うとともに、日本政府に対し、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導することを期待し、広島を議論と発信の場とすることを提案した。
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被爆50周年(平成7年)の平和記念式典では、広島市長の平和宣言に続いて、初めてこども代表が「平和への誓い」を述べた。これは、「こども平和のつどい」で世界のこどもたちが話し合った結果を平和への決意として述べたもので、翌年以降もこの成果を引き継ぐ「こどもピースサミット」を開催し、「平和への誓い」を発信している。
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2014年8月20日、広島市安佐南区で土砂災害に巻き込まれた大切な仲間の一人。今まであたり前のように一緒に過ごしていた大切な人が突然いなくなるという悲しみを知って、原子爆弾で多くの友だちが亡くなるという悲劇の感情を想像することができた。祖父母たちが、この70年間ヒロシマを生き抜いて、命をつないでくれたことへの感謝と、悲しみ、苦しみとともに、平和への強い思いが込められた被爆体験の話を語り継ぐことを誓った。 
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広島に原子爆弾が落とされて以来の核を巡る世界状況など主なできごとを年表にしています。折鶴を本のイメージデザインに採用し、各ページのノンブルは鶴の個数で表しています。また、最終ページには折鶴の折り方も掲載しております。
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